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カナリア諸島でスペイン編は完結したと思っていたが、何かしら忘れているような気がしていた。
 
そうそう、スペイン領ではないが、歴史的理由によりフランス大統領とカタルーニャ(ラ・セウ・ドゥルジェイ)のウルヘル司教の2名の共同大公を元首とするミニ国家を忘れていた。
 
その名は、「アンドラ公国」である。
公用語はカタルーニャ語、ただ、スペイン語もフランス語も通じる。
スペイン・カタルーニャ州の州都はバルセロナ、最近スペインからの独立も話題になったのは記憶に新しいが、アンドラ公国の立国の歴史も、そもそもこの周辺に展開していた民族の影響があるものと考えられる。

1986年87年のバルセロナの夏は暑かった。恐らく、87年の7月に涼を求めて、ピレネー山脈の街、アンドラ・ラ・ベリャ(首都)を目指した。
 
アンドラは観光立国なのだが、当時IVA(日本の消費税にあたるもの)がなく、国自体が
Duty Free Shopで、スペインやフランスから、お酒やタバコなどを求めて、買い物客が盛んに押し寄せていた。
 
現在は、IVAは、4.5%となっている。ただ、法人税や個人の所得税の上限は10%となっており、しかも金融(株式)からのキャピタルゲインについては0%で、ドバイまでいかないものの租税回避地としては、魅力が続いている模様。
 
ヨーロッパの街並みが美しい山間の街。空気が澄んでいて、マイナスイオンに癒された。

 

さて、ゴルフの話に移ろう。
当時ゴルフ場は1か所しかなかったと記憶している。
その名は、「ゴルフソルデュ」9H Par33 2,590mの短いコースである。
ただ標高は、2,000m以上あって、ボールは飛び、ひと番手以上違った。
9Hを違うティインググランドから2回まわるスタイルだった。
 
大きなログハウスの前が、牧場のように広く、そこにスタートホールがあったのを記憶している。
整備は良くなく、短く刈った牧場でゴルフをするといったものだった。
下の写真は、「ゴルフソルデュ」のもの。
本当に牧歌的コースだった。

次の写真は、アラヴェルゴルフクラブ。スペインとアンドラの国境からわずか15kmのラセウドゥルジェルにある壮大なゴルフコース(18H Par71)。
ここは、一年中開いており、アンドラのゴルファーが頻繁に訪れるとのことだ。
ラウンドしなかったが、参考までに掲載させて頂く。

ヨーロッパは、歴史的に民族の移動が頻発にあり、その結果がいまの国境を形成しているが、その下では、ふつふつと民族間の争いが絶え間ないというのも、そこに居住してみて肌で感じた。
 
海に囲まれた自然豊かな日本に生まれて幸せだったと痛感するが、
 
その分、違う価値観を認め合う文化が希薄なところもある。
最近の色々な事象をみてつくづく痛感しているが、外国の方々がコロナ明けから、多く来日され、また国際社会の日本の位置づけが重要になってくる今、嘆くばかりでなく、自分に何ができるか、小さいことから初めてみようと考えている。

 

掲載日:2023年6月21日