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マドリッドからバルセロナに降り立つときに、目に入ったゴルフ場は、Real Club de Golf el Pratだった。

飛行場の土地が、El Pratと呼ばれていたことに因んでいる。

このゴルフ場、Realと名がついている訳は(Royalも同じような意味合いを持つ)、
1912年にさかのぼり、チュルカ伯爵がバルセロナゴルフクラブを設立し、後にゴルフクラブ・デ・ペドラルベに改名されます。数年後、君主ドン・アルフォンソ13世の訪問を契機に、名前に「レアル」が付くこととなる。

そして、バルセロナ空港のすぐ側に、1954年に、小生が着陸時に見た、そして5度ほどラウンドしたゴルフ場が設立されたのである。

その後、1997年にバルセロナ空港拡張工事を契機に、グレッグノーマンが設計した45Hの新しいゴルフ場が誕生することになる。

従って、1986年~87年に小生がラウンドした18Hのゴルフ場自体は、跡形もなく無くなってしまったこととなる。

この後も、バルセロナ周辺のゴルフ場を紹介するが、このReal Club de Golf el Pratだけは、ラウンドするのが他のゴルフ場と一線を画していた。

UKの会員制のゴルフ場も同様だが、日本人がラウンドする場合、「ハンデキャップ証明書(できれば現地の言語での翻訳付き)」の提出が必要となる。

当時、たまたま茨城県の「桜ゴルフ倶楽部」に入会していたので、HDCP証明書(ハガキでの通知)を日本から送付してもらい、Pratでのラウンドする度、受付で提示して、コピーを取られてから入場できるという、厳格なプライベート倶楽部であった。
バルセロナの他のゴルフ場でラウンドするときは、求められたことは無かったと記憶している。

商社や銀行などの企業から派遣された留学生も多かったが、若い人が多く(そうは言っても、小生も30歳だった。それでも、他の企業から派遣された人たちは、25~27歳くらいが主流)、その時は、バブルの絶頂時代ということもあり、若い方々が、日本のゴルフ場の会員ということはなかった。

どうしても、Real Club de Golf el Pratでラウンドしたいと考えた「某商社の強者」は、ワープロで、漢字表記のHDCP証明書をねつ造してラウンドしていたのには、仰天した。

その彼が、「卵を産む男」として留学生の間で噂になってきたころ、みんなで、スペイン三大祭りの一つ「バレンシアの火祭り」とバレンシアの伝統あるゴルフ場でのラウンドのツアーを企画した。
このツアーでこの噂が現実になるのだが、これはバレンシア編でお伝えしたい。

コースの記憶は、あまりなく、海沿いの眺めの良い平坦な土地に展開されたコースだったと思う。
ヤシの木(棕櫚の木?)がコースを分けていて、ハワイのゴルフ場の雰囲気だった記憶がある。

(これは、現在のコースだが、景観は、このような感じだったと記憶している)

(グレッグノーマンにより設計されたコースは、近代的な感じとリンクスの感じが取り入れられているように窺える)

ただ、ラウンドされている人々や駐車場に止まっている車の種類は、明らかに他のゴルフ場とは違っており、高級感というか、上流階級の倶楽部といった雰囲気が醸し出されていた。

レアルクラブ・デ・ゴルフ・エル・プラットは、1956年、1959年、1963年、1971年、1978年、1981年、1998年、1999年、2011年、2015年の10回スペインオープンを開催している。

グレッグノーマンの設計になってからは、4回開催されたことになる。

次回バルセロナを訪れた際は、是非45Hラウンドしてみたいと思う。

 

掲載日:2021年12月15日